|
昭懿貴妃(しょういきひ、? - 1104年)は、北宋の仁宗の貴妃(側室)。姓は張氏。張氏(生前は貴妃)とは別人。 == 生涯 == 後宮に入って延安郡君となった。後、賢懿恭穆帝姫(充媛董氏の次女)の養育を任された。熙寧9年(1076年)11月、養女の結婚の頃、正四品美人にいたった。哲宗が即位すると、婕妤に上った。徽宗の時、充儀嬪に進み、賢妃にいたった。 崇寧3年(1104年)、薨去した。昭懿と諡された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「昭懿貴妃 (宋仁宗)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|